plusについてまだ考える
前の記事に書いたplusに対する思いというか、なんかそういうのは大丈夫になってきた。やはり一過性のものだった。俺は感情の起伏が大きいからそうじゃないかと思ってたけど、その通りだった。
でも今度は別の不安が出てきた。
plusは簡単にいえば「お節介」だ。こうやれば簡単なのにもったいない、教えてあげたい。そういう思いが一番大きい。
でもこれは、お節介なんかじゃなく、偽善なんじゃないだろうか。
俺は偽善に対して敏感だ。しょっちゅうそんなことで悩む。そのたびに「偽善だってひとのためになればいいじゃない」と言われてきた。実際、他人の例を見るとそう思う。偽善をやって、誰かが助かって、自分も満足いくならそれでいいんだろう。
いいんだろうけど……なんだろうね。うまく言えないが、なんか引っかかる。
例えばある記事を書いて「この記事のおかげでうまくできました!」とかコメントがあれば変わるのかもしれない。俺なんて所詮そんなもんだ。
とりあえずまだ書きたいことはある。あえてこういう言い方をするが「教えてあげたい」ことがある。もちろん一部の人だというのはわかってる。でもインターネットやパソコンのきちんとした使い方を覚えて楽しんで欲しいんだ。
そう、そこだな、普通のブログと違うのは。生活に役立つとかライフハックだとか仕事が便利になるだとか、そんなのは他にまかせればいい。俺は「楽しんで欲しい」んだ。
書いてる間に分かった。もう今日はそれだけでいいや。